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2024.01.10
臨済忌
福厳寺は臨済宗建長寺派の寺院です。
日本の臨済宗とは、
禅宗の一派。唐の臨済和尚を祖とする。日本では鎌倉時代に栄西が伝えたのに始まり、室町幕府は京都・鎌倉に五山を定めて保護した。公案によって弟子を教化する看話禅の立場をとる。現在15派に分れる。『広辞苑』
と説明されます。十五派の一派が鎌倉建長寺を本山とする建長寺派です。
本日一月十日は我が臨済宗の開祖、臨済和尚のご命日「臨済忌」です。
今朝のお勤め(朝課)では、臨済禅師を偲び読経・回向を致しました。
臨済和尚は
臨済義玄(りんざいぎげん)と呼びます。
出生は不明、没年は866年か867年の二説が有力。
中国,唐末の禅僧.臨済宗の祖.曹州南華(山東省)の人.諡号は慧照禅師.
若くして出家し,博く伝統の仏教学を修めた.黄檗希運(おうばくきうん)に参じ,数年間修行の生活を送っていたが,仏法の大意を三度問うて三度打たれ,その指示により大愚(だいぐ)に到り,そこで大悟する.大愚のはからいによって黄檗に戻り,法を黄檗に嗣(つ)ぐことになる.
のち,成徳府(河北)に独立政権を樹立していた王氏の帰依を受け,鎮州城(河北省正定県)の東南隅,沱河(こだが)に臨んだ小院(臨済院)に住した.(臨済の名は、ここに由来)
晩年に魏府(河北省大名県)に移り,その地で没した.
その禅は,裸の生身の人間を肯定するもので,真正の見解を得て自由人(無依(むえ)の道人)となり,人惑を受けぬことを求める.
特に「赤肉団上一無位の真人」の語は有名(無位の真人).
教化に当っては「臨済の喝,徳山の棒」と言われるように,厳しい喝によって弟子の活気を引き出すことにつとめた.(臨済宗の葬儀では引導を送る時、導師が「一喝」を与えるのは臨済が喝を多用して弟子を導いたことに由来)
弟子に三聖慧然(さんしょうえねん),興化存奨(こうけそんしょう),灌渓志閑(かんけいしかん)らがいる.
馬祖道一(ばそどういつ)にはじまる洪州宗(こうしゅうしゅう)は,臨済に到って大機大用(だいきだいゆう)(生き生きとした働き)の禅として総括され,臨済宗を形成し,宋代(960-1279)に大いに栄え,中国仏教の主流となっていく.
『臨済録』は語録の王といわれ,禅語録のバイブルとなっている.
『岩波仏教辞典』
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