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2021.07.25
建長寺の『蘭渓坐禅儀』 (1)
7月24日は建長寺を開かれた開山蘭渓道隆禅師(大覚禅師・1213―1278)のご命日であり、毎年開山忌として関東近隣の建長寺派末寺和尚が集まり盛大に報恩の法要を行っております。
私も当然足利から鎌倉へ出頭のため参上致しておりましたが、今年も昨年同様縮小開催となり不参加になりました。
お盆に次ぐ夏の中心行事でしたので、少し寂しい思いが致します。
建長寺開山の蘭渓道隆禅師には国宝に指定されている直筆『法語規則』があります。これは建長寺修行道場(僧堂)では毎日読んでおり、内容的にも修行僧の戒めにもなっております。
その他にも、ご遺誡(遺言)として『大覚禅師遺誡五条』が伝わっております。その冒頭には「松源一派僧堂の規あり、もっぱら坐禅を要す」とあり、蘭渓禅師の一派の教えでも最重要視されているのは坐禅だと強調されています。
建長寺も福厳寺も禅宗でありますので、当然坐禅修行が重要ですが、蘭渓禅師が建長寺を創建された鎌倉時代には坐禅をもっぱらにする「禅宗」「禅寺」はいまだ存在しておらず建長寺が日本で初めて「禅寺」と名乗ることが許された寺院でした。
蘭渓禅師は坐禅が日本に定着していなかったため、寛元四年(1246)に数人の弟子とともに中国南宋から来朝されてから間もなく博多円覚寺(妙心寺派)に招かれ、本格的な禅を布教するために「坐禅儀」を著述されました。この時開山様は私よりも若い33歳でした。
この「坐禅儀」では、冒頭に「坐禅は大安楽の法門なり」と述べておられますが、果たして如何にして心の安楽を得る導きを示しているかというと、まずは「戒」を立てることを優先しなさいと言っておられます。
その戒とは具体的に示されており、「言語を慎むのであり、飲食を調えて、良き友人と共にし、外出は控えめに、礼儀でないものは見ないように、聞かないようにしなさい」と言っておられます。そうして静かに足を組み腰骨を立てた坐禅をするから、暴れまわる心の猿や牛も、これ以上に飛び跳ねなくなる。心が飛び跳ねなくなったのならば、禅定力がついてくるのであると説きます。この禅定力が深まると、四苦八苦の苦しみを乗り越える智慧が生じるのです。
注目すべきは「戒をたてることを優先せよ」と言っているところです。
そもそも仏教の真髄は、「仏になる」ことではなく「仏である自分に気づくこと」であります。
私たち人間がどう生きていくべきか、それは自分の身心の中も、自分の周りの環境も、本当はすでに調和されているが、人間の思い通りにいかない身と心が暴走してしまうと崩れてしまうのです。だからこそ、「戒」が仏教では重要視されてきました。
「戒」は「罰を与える」という「戒め」の意味ではなく、梵語で「シーラ」ですので、「習慣をつける」という意味です。
開山様は、正しい坐禅に取り組み、人間誰もが本来備えている仏様の心に気が付き大安楽を得るには「まずは良い習慣をつけよ」と説明されたのです。
それがまずは、坐禅をするに前提条件として重要なのだと示されたのでした。
天台智顗(538-598)書『摩訶止観』にも坐禅瞑想で必要なことは、「調五事」といい
調食=適度な食事をとること
調眠=適度な睡眠をとること
調身=身体を調えること
調息=呼吸を調えること
調心=心を調えること
であると説かれています。適切な食事・睡眠も「良い習慣」であるように、
開山様も記すように、まずは良い坐禅をするためには日々の生活を調えることが重要であります。