ホーム > 一行三昧~足利ZEN~ > 福厳閑話 > 出張法話 於山梨
2021.11.14
出張法話 於山梨
「一行」とは「一つの修行に専念すること」で、「三昧」とは梵語(サンスクリット語)のサマディー(三摩地)を音訳したもので、「定める」の意があり、心を一つのことに集中させて安定した状態のことです。
テレビでも有名な「すし三昧!」は美味しいお寿司を一心不乱に食べるという意味でしょうが、そこに欲望や執着がなく、心の安定がなければ本当の意味での「三昧」ではありません。
つまり禅語としての「一行三昧」とは、「一つのことに対して、一心(一直心)に集中して心を安定させる」という意味です。
また、禅宗では「一行三昧」でそのまま「坐禅」を意味して使用されます。
老師が私に「一行三昧」の軸を修行道場から出るときに下さったことは、私にもっと一つのことに成り切りなさいと言う思いも込めて下さったのだと感じています。
現代は、マルチタスクと呼ぶ複数の作業を同時にこなす能力が評価される時代です。
普段の生活でも、食事をしながらテレビや携帯をみたり、掃除をしながら電話をしたり、現代人は無理やり器用にさせられている感じがします。そして、特に都会はスピード感がとても速いです。
テレビや携帯もどんどん新しいものが出来てきます。SNSもツイッター、インスタグラム、Facebookなどなど情報手段が多くなり、毎秒ごとに新しい情報が更新されて、私たちは受け取らざるを得ない状態になってしまっています。
何故か忙しくて生きにくい世界になっていないでしょうか。
このような時代にこそ、一つのことに集中する、「一行三昧」を大切にする必要があると思います。
「一行三昧」のポイントは、何かを得ようと思わないことです。その逆に、今あること、今していることに対して有難うの念を少しでも入れてあげることです。それが、「三昧」が意味するところの心の安定につながります。
私たちは素晴らしい命と、環境を与えてもらっております。
歩くときは歩く三昧、お茶を飲むときはお茶三昧、坐禅は坐禅三昧です。
三昧になりきっているときは、損得も、比較も、勝ち負けもなく、自分と世界が一つです。大自然のように活き活きすることができます。
栖雲寺さんは蕎麦切り発祥の地でもあります。当日も手打ちそばが多くの参拝者に振舞われていました。
私は夜までに帰らなくてはならず、蕎麦三昧とはいきませんでした。。