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2021.08.29

建長寺雲水物語その1「庭詰(にわずめ)」

建長寺雲水 その1 「庭詰(にわずめ)」

建長寺専門道場である僧堂は、参拝者の多い建長寺境内とは一線を画した面会謝絶の場所にあります。

それ故に、僧堂の中ではどのような修行をしているのか実際に入門してみないとわかりません。

私は、建長寺僧堂に平成18年(2006)に僧堂に掛搭(入門)し、平成24年(2012)秋までの13夏(6年半)僧堂に在錫して修行させていただきました。 

僧堂を暫假(僧堂から離れ帰ること)した時に、本山から縁を頂き建長寺から年に二回発行している『巨福』「建長寺僧堂 雲水物語」の執筆をさせていただき、令和元年号までの六年半(その1~その13)担当して普段は窺い知ることが出来ない僧堂の話を僅かながら伝えさせていただきました。  

僧堂に入門すると、テレビも携帯も新聞もない、全く異なった禅修行の世界であり厳しいことは当然ありますが、時間を経るにつれ僧堂の生活の行住坐臥が意味深く、面白いものであると感じられ、禅・仏教の世界は実に素晴らしく、有り難い教えであると実感するようになりました 

「建長寺僧堂雲水物語」の内容を踏まえて、現在も行われている禅の専門道場(僧堂)の様子を記していきたいと思います。

   

毎年春になると建長寺専門道場には「たのみましょうーー!」の声が響きわたります。

禅僧になる為、僧堂という禅道場に入門を志願する者は、まずは古来より続く前近代的な入門試験である「庭詰(にわずめ)」をして自分の志の強さを示さなければなりません。

入門志願者は、僧堂の大玄関で上がり框(かまち)に腰を掛け、袈裟文庫(けさぶんこ)に額をつけ「たのみましょう」と精一杯の声を出します。応答が無かったら更に大きな声を出します。

「どうれ」と奥から響き渡る重々しい声で先輩僧が現れ、応対をしてくれます。しかし、「当道場は満衆に付、他の僧堂へ…」と断られ、応対の雲水も下がってしまうのです。ここから入門の志が試される難関「庭詰」が始まります。

 目的貫徹の手段に「座り込み」がありますが、座り込みの元祖は禅僧であります。たとえ入門を断られても、そのまま玄関先で低頭したまま二日間を過ごします。その間何度も帰るようにと入門を断られますが、只管(ひたすら)懇願致します。

勿論途中、最低限の東司(トイレ)に行くことは許されますし、夜は眠らせてもらえ、お粥やおじや等の食事も戴けます。

 

 大玄関で二日間の「庭詰」では首や足腰の痛い辛い寒いはありますが、禅僧であれば誰もが通ってきた関門。郷里の家族、暖かい団欒など、様々な思いが頭によぎっても、自分自身の決意を新に固めグッと我慢するのです。

禅宗初祖達磨大師に教えを乞う二祖恵可(えか)己の腕を断ち切って熱意を表し、教えを受ける。古人に比べればまだぬるいですが、決して楽ではありません。

 

ところで庭詰中ずっと目の前に置く袈裟文庫とは、修行僧の数少ない持ち物を入れる大切な物です。中には袈裟や講本の他に「涅槃金(ねはんきん)」と呼ぶ修行中命を落とした時に使用してもらう為の現金も入れる慣わしがありますまさに命懸けで修行に臨むのです。

 

二日の後、三日目からは「旦過詰(たんがづめ」。六畳程の一室で只管坐禅をして三日間過ごします。そして漸く入門が許され僧堂の一員として修行をさせてもらうのです。

 

今でも鮮明に「座り込みの懇願」をしていた当時の光景が思い出されます。ググッと腰に力が入りピンと背筋が伸びる私の原点です。すべては「たのみましょう」から始まりました。

(その1 「庭詰(にわずめ)」)終わり

※写真の「大徹堂」は以前の建長寺僧堂坐禅堂で福山市新勝寺へ移築されたものです。

※挿絵 法蔵寺 水谷周行和尚

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