ホーム > 子安観音と観音堂
「念誦坂子安観音略縁起」によると、享保21年3月(1736年)、寺の修築工事の際、裏手の岩窟の中から「鉄板」と「観音像」(秘仏として現存)が発見されました。
四明道人が作ったという子供を抱いた10㎝位の白銀の立像で、源姓足利義兼公(鑁阿寺・鎌倉浄妙寺の開基)と時子夫人(源頼朝夫人北条政子の妹)の守り本尊と伝えられる仏像が、この「子安観音」です。
文治4年(1188年)、時子夫人が御懐妊の時、義兼公の懇情により理真上人が「お腹の中の女の子を生まれるまでに男の子に変える呪法」、つまり“変成男子の修法”を行った時に用いられた仏像で、源姓足利三代義氏公の誕生に縁深い観音様です。建久9年(1190年)義兼公の本願により、霊験あらたかな観音像を祀る堂宇が建立されました。
現在の足利市通7丁目切通し上の観音堂がこれにあたります。以来、「清水川観音」「念誦坂観音」、或は「坂の観音様」と呼ばれ、明治時代頃までは桜の名所として賑わい、大祭も行われていました。
特に『安産、子育て』を祈願するご婦人たちの参拝が多く、近在の花嫁は必ず石段の入り口でお参りをしていく風習があしました。
なお、お堂には行基作と伝えられる「千手観音」(足利坂東31番)が祀られ、子安観音は「秘仏」の為、普段は福厳寺に安置されております。
現在も安産祈願・子供守護のご祈祷を承っております。ご希望があれば切通し上にあります普段は入る事の出来ない九百年の歴史を持つ『観音堂』にて、子供を抱いた母親が描かれた絵馬が見守る中でのご祈祷も行えます。本堂では足利氏繁栄に因縁深い、子供を抱いた『子安観音』の見守る中でのご祈祷が可能です。
ご要望・ご質問がございましたらお問い合わせください。
足利市幹線道路となる旧国道50号線(桐生・岩船線)沿いの足利市通七丁目、常念寺さんの西側から伸びている石段を登ると、福厳寺でお守りしている安産・子育ての子安観音堂がある。そのお堂から延びる天狗山ハイキングコース途上に百六十三基もの庚申塔が祀られております。平成十七年五月に発掘・整備をして足利の歴史家・田村充彦先生と星野光行先生に調査をして頂き、詳しい調査記録を頂きました。また、平成二十二年に宇都宮の歴史家・瀧澤龍雄先生の調査が行われ詳しい調査報告書を頂きました。
それらの史料によると、紀年銘から明和三年(1776年)から大正三年(1914年)に建てられた庚申塔だと確認されております。
庚申塔は、悪疫などの侵入を防ぐと信じられてきた庚申信仰によるものです。中国の道教に由来する庚申信仰で、我が国では平安時代の宮廷貴族の間に始まり、江戸時代には庶民の間でも隆盛をきわめました。
「庚申縁起」によれば、六十日ごとに廻ってくる庚申(かのえさる)の夜、人の体内にいる三尸(さんし)という悪さをする虫が天に昇ってその人の罪禍を天帝に告げるため、生命を縮められると言われていました。これを防ぐため人々は「庚申待」「庚申講」を結んで、その夜は眠らず身を慎んで過ごし、健康長寿を祈念しました。
この庚申講を三年・十八回続けた記念に建立したのが庚申塔であると言われております。そしてこの庚申塔群の親塔とも言うべきものが、台座に三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が彫ってあり、邪気を踏む剣人型六臂青面(しょうめん)金剛像です。
病魔・病鬼を払い除く金剛像で、三猿は謹慎の態度を表すとされております。
この地は約八百年続く足利氏繁栄の礎となる祈祷場・子安観音堂があり、裏の山中にはかつての足利人の祈りの結晶である百六十体以上もの庚申塔が建てられています。そこに漂う空気は厳かで神聖なものですが、市内を一望できる景観があり、両崖山へ続く人気のハイキングコース(天狗山ハイキングコース)の入り口となっております。
是非ハイキングを楽しみ、「安産・子育て」の観音様、健康長寿の庚申塔をお参りください。